昔から、芸能の世界では、「1声・2顔・3姿 (いちこえ・にかお・さんすがた)」と言われます。
ボーカリストや俳優などにとって、声の良さは、何より大切な部分とされていることを表す言葉です。
今の時代は、メールやツイッターなど、24時間どこにいても意思伝達が出来る、とても便利な世の中になり、多くの皆さんが、その恩恵にあずかっていると思いますが、そこに頼ることの弊害もあります。
たとえば「ありがとう」を伝えるにしても、冷たい端末に表示される機械の文字では、本当の思い、その深度というものは伝わりにくいものです。
また、声にした場合も、どういうトーンで、どんな表情なのかで伝わり方が変わってきます。
声を操る人によっても変わってくるのです。
同じ歌を歌っても、多くの人に響くものになるものと、そうでないものの差が生まれるのは、このためです。
何を言うかも大事ですが、どのように言葉を発して届けようとするのかが大事なのです。
みなさんも注意深く、観察してみてほしいのですが。
例えば、売れる漫才師は声がよく出ていて、売れない漫才師は声が上手く出てないことが多く。
俳優も同じで、人を惹きつけられない人は、声が良くない人が多いはずです。
主役級の役者さんや上手いと言われる役者さん、そして第一線で長く活躍されている人たちの声や声質を研究して、作品を見てみるとよいでしょう。
売れてる人とそうでない人、また、役どころによっての声の使い方や違いも分かるはずです。
ボーカルも同じように、上手いといわれる方の声には、頼れる様な応援されているかの様な力強さと、まるで自分の気持ちを理解し共に泣いてくれるかの様に繊細な表現力があり、その声に引き込まれる魅力があるはずです。
みなさん、オーディションなどでは、知らずとも、他の誰かと同じ曲を選曲し、歌っていることでしょう。
そこでは、音程などの技術の差はもちろんですが、声の表現力の差、聞き手の心に響くか響かないかの差がついています。
オーディションでは、多くの歌い手の中から、「あなたこそが歌うべきだ」という価値を、聞き手に感じ取ってもらえるかどうかが大切です。
現代では、テクノロジーが発達し「ピッチ(音程)」や「リズム」などのミュージックノート上のものは、コンピューターで修正が出来ます。(だから、どうでもよいということではありません)
しかし、声質、声や言葉の重みなどの表現を修正していくことは、かなりの時間と労力を要することから、現実的ではありません。
このことからも、声やフィーリング、表現力の上手さを優先するスカウトも多いことだと思います。
みなさんの多くは、高音を出すということや、疲労しないといった声にこだわりを持っている方も多いのですが、それらは、しっかりとした身体やメンタルをトレーニングで成長させ、魅力のある声とともにつくられてこそだと理解して下さい。
例えば、声楽の最高音を担当するソプラノパートであっても、その声の質や表現出来るスキルの有無などによって「レッジーロ・リリコ・ドラマティック」などに、細かく分類されます。
弱々しく、表現力が無い、魅力が無く周りから求められない声では、何をおいても、使えない声でしかありません。
『1声・2顔・3姿(いちこえ・にかお・さんすがた)』と言われるほどに、声は、歌手や役者の1番の武器となり、磨く価値があるのです。
声はメンタルの向上や、日々のトレーニングで育ち、輝かせることが出来ます。